《風俗ガイド》優しく接してあげれば次回はワンラク上のサービスブログ:03月07日
俺は父母が結婚して間もなく授かり、
お母さんからは、親父は男の子を欲しがっていた…
と聞かされていました。
でも親父は、
ネズミが俺の指を齧った!と怒って
罠をしかけ、ネズミに復讐した…とか、
オムツ替えの途中の汚れたあしに「ちゅー」しようとした…とか、
マンガみたいな父母バカぶりも聞かされていました。
次の年にはおとうとが生まれ、
父母はいつでも同じものを
二つ用意しなければいけなかったようです。
ママゴトのセット、クレヨン、ボール、人形…などなど
洋服も色違いのセーター、ズボン。
少し大きくなった頃にお母さんが用意してくれたのは、
自分のセーターをほどいて作ってくれた
ニットのジャンパースカート、
おとうとには汽車の編みこみがあるセーター。
このころになると、
男女差と言うより個性が出て来ていて、
関心のあるものが違っていたんでしょうね。
欲しがるものもまちまちになってきました。
当時、親父が事業を立ち上げるために頑張っていて、
お母さんは本当に時間を惜しんで親父を助け、
俺たちにも愛情を注いでくれました。
父母は、俺に
「女の子らしい」ことをして欲しいと望んでいたみたいです。
可愛い洋服を着せられ、写っている写真。
七五三のために髪を伸ばし、
自毛で日本髪を結って貰った俺が
自宅の前でオスマシして写っている写真。
長かった髪をお母さんは連日編みこんでくれたり、
服装にも気遣ってくれたり…
俺は3歳の時に怪我をして、
小さい時はまだ左足が湾曲していて、
まっすぐ歩くのにも苦労していたので、
お母さんとしては余計に気を遣ってくれたのかもしれないですね。
できないことが多い分できることを増やしてやりたい…という
お母さんの気持ちに添うように、
頑張り屋の俺は形成されてきたのだと思います。