《風俗ガイド》風俗の女の子を恋人だと思っちゃおうブログ:06月02日
もともと料理屋に生まれたぼくは、
幼い頃から出前やら洗い場やら手伝いを強いられました。
遊びたい盛りなので、
その頃はイヤでイヤで仕方なかった記憶があります。
勉強嫌いなぼくが試験前に珍しくやる気を出すと、
決まって出前の注文がきたものです。
文句を言っても、
普段から勉強していないためそれも通じず、
泣く泣く出前に行かされる羽目になりました。
とにかくお父さんも母親も忙しくて、
暖かいごはんを食べることも、
家族そろって夕方食を囲むことも、
正月くらいしか記憶にありません。
学校の弁当は
いつも自分で前の日の残りものと
冷やごはんを詰めて持って行きました。
料理屋は表から見れば、
綺麗な料理を作る綺麗な仕事かもしれませんが、
裏から見れば休みもなく、とにかく下仕事が多くて辛い仕事…
ぼくはそれが身にしみていたので、
大学を出るまで父母の店を継ぐなんてことは考えもしませんでした。
ただ、
嫌々ながらも料理の手伝いはしていましたから、
「うまい」「まずい」はからだが自然に覚えました。
家では手の空いた者からご飯をとるというのが当たり前で、
時には刺身の切れ端や料理の残りものもありましたが、
大半はごはんとおしんこと味噌汁だけでした。
でも、それで十分でした。
漬物はそれだけでごはんをおいしくいただけるすぐれもの。
今でも漬物だけはおいしいものを食べたいと思います。
糠床を毎日かきまわしていくうちに
何となくコツがわかってきます。
ごはんをおいしく炊いて、おしんこをおいしく漬けられれば、
たいていの料理はおいしく作れるんじゃないでしょうか?