《風俗ガイド》結構参考になるのが風俗のサイトブログ:04月21日
終戦直後、
おれたち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
母親とお姉ちゃんとおれの3人で、
親父は南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の6時食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分はお姉ちゃんとおれが食べ、
母親はいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかったおれは、
母親はサツマイモが好きなのだと思っていた。
そして13時のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていたおれは、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
おれはあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」と母親に頼むのであった。
サツマイモばかり食べている毎日なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
おれたちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
お姉ちゃんとおれはたまに焼芋にありつけるのだが、
母親は決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつくおれたちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
菓子パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、親父も南方戦線から帰って来て
おれたちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
お姉ちゃんとおれにお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていた母親。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかった母親。
母親は一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
母親の仏前に焼芋でも供えようかとおれは思う。